サンダースの歴史は、ひとつの工場から始まった
川﨑ブレイブサンダースに携わり始めた頃のことを教えてください。
部の設立は、私が入社する15年ほど前になります。小向工場バスケットボール部は、東芝工場の一つだった小向工場を拠点に、バスケ好きの従業員が集まって設立した社内サークルでした。当時はもちろん、工場に体育館はなく、敷地内にゴールを立てて練習していたのをよく覚えています。工場はその頃、非常に需要があったテレビをメインとして作っていたため、従業員数は5,000人を超えており、さまざまな運動部が立ち上がっていました。その中にバスケ部があったというわけです。
バスケ部の発足から、チームがどのようにして拡大していったのか教えてください。
その後、着々と力をつけたチームは、1982年に転機を迎えました。初の外国人選手だったカウワン選手が大活躍し、1部リーグに昇格したんです。今でも彼の活躍は目に焼き付いています。誰も彼を止められず、一人で50点以上決めていたんですから。
他にも印象に残る活躍をし、チームの成長に貢献した選手は多くいます。例えば、1995年に加入した北選手と節政選手。北選手の外からのシュート、節政選手のゲームメイク。本当に素晴らしかったです。
意志を受け継ぐ、赤色のユニフォーム
歴代のユニフォームについて、その変遷と思いがあれば教えてください。
実はこうやって、チーム名は何度も変わっています。同じようにユニフォームも数え切れないくらい変わってきました。しかし、唯一ずっと変わらないのが“赤色”です。グッズやアリーナも赤で統一しており、これだけはずっと受け継がれている歴史や意志のようなものを感じています。今のサンダースの“ブレイブレッド”にも、しっかり刻まれているのではないでしょうか。
未来に向かって、これからも繋げていきたい思いはありますか?
絶対的に忘れてはいけないのが、川崎という街に根付くように、意識しながら活動していくことです。『川崎ブレイブサンダース』というチーム名をファンの方も意識してくれていると思いますし、川崎に愛されるチームであってほしいと思います。そのためにも、子どものころから入れる、子どもクラブを始めたので、継続していきたいです。
サンダースファミリーへのメッセージをお願いします。
まずは応援に来てくださるみなさんに、心からありがとうと言いたいです。本当に熱心に応援してくださり、とにかくありがたいです。私からファンの方に、直接お礼を言う機会がないので、接する機会を作って、直接しっかり伝えていきたいです。 サンダースファミリーの熱気は本当にすごいです。ユニフォームを身にまとって、グッズも身につけて、そういった方がアリーナにいると、やはりチームとしての士気は高まります。歓声が上がり、アリーナが一つになる瞬間は、「ありがとう」という気持ちで一杯です。選手の皆さんも、ファンを大事にする気持ちがどんどん強くなってきているように感じています。
私にとっての、
川崎ブレイブサンダース
記憶に残っているできごとは数多くありますが、第33回日本リーグ(2000年1月)で優勝したときは非常に感動しました。私はチームのマネージャーとして参加し、ずっと近くで見てきたので、格別の思いだったのを今でも覚えています。(写真:第33回日本リーグ優勝の2000年の写真)