【第4弾】歴史を越えてつながる サンダースとユニフォーム マネージャー/羽角国廣(4/28)

【第4弾】歴史を越えてつながる サンダースとユニフォーム マネージャー/羽角国廣(4/28)

サンダースの歴史は、ひとつの工場から始まった

川﨑ブレイブサンダースに携わり始めた頃のことを教えてください。

 

私がチームに関わり始めたのは、川崎ブレイブサンダース(以下サンダース)の起源にあたる、東芝小向工場バスケットボール部の頃です。私は東京五輪が行われた1964年から小向工場で働き、バスケ部に参加しました。最初は選手として、その後はマネージャーや審判として、チームやバスケットに携わってきました。

 

部の設立は、私が入社する15年ほど前になります。小向工場バスケットボール部は、東芝工場の一つだった小向工場を拠点に、バスケ好きの従業員が集まって設立した社内サークルでした。当時はもちろん、工場に体育館はなく、敷地内にゴールを立てて練習していたのをよく覚えています。工場はその頃、非常に需要があったテレビをメインとして作っていたため、従業員数は5,000人を超えており、さまざまな運動部が立ち上がっていました。その中にバスケ部があったというわけです。

バスケ部の発足から、チームがどのようにして拡大していったのか教えてください。

設立後は従業員が増えることで部員が増えていったり、1955年には関東実業団連盟(現・社会人連盟地域リーグ)に加盟したりと、次第に活動の規模が大きくなっていきました。
また、1965年頃から、もっと強くなるためにと、会社の夏季連休などを利用して遠征を始めました。大会を見ては上手な人に声をかけ、社員として引き抜くことで、優秀な選手を確保したんです。当時設計担当部長だった方がバスケ経験者で、練習や人事面でもいろいろとサポートしていただいたのが大きかったです。
当時は女子チームが非常に強く、体育館を持っていたので使わせてもらうことも多々ありました。男子は1975年に日本リーグ(現 B.LEAGUE)の2部に昇格しましたが、女子は男子よりもずっと前から日本リーグに所属していたんです。

 

その後、着々と力をつけたチームは、1982年に転機を迎えました。初の外国人選手だったカウワン選手が大活躍し、1部リーグに昇格したんです。今でも彼の活躍は目に焼き付いています。誰も彼を止められず、一人で50点以上決めていたんですから。

 

他にも印象に残る活躍をし、チームの成長に貢献した選手は多くいます。例えば、1995年に加入した北選手と節政選手。北選手の外からのシュート、節政選手のゲームメイク。本当に素晴らしかったです。

意志を受け継ぐ、赤色のユニフォーム

歴代のユニフォームについて、その変遷と思いがあれば教えてください。

 

ユニフォームについてお話しをする前に、まずはチーム名についても触れておきます。
東芝のカラーである赤色をテーマに、チーム名が『レッドサンダース』と改名されたのが1991年のことです。サンダースという部分は、小向工場が電波機器事業だったことが由来になっています。さらに、約10年後のリーグ優勝した2000年に、勇敢なプレーをするという意味で『ブレイブサンダース』にチーム名を変更しました。この頃はまだ“川崎”がついていませんが、さらに先の2016年にB.LEAGUE となったことにより、地域に根ざした運営を行うということで 『川崎ブレイブサンダース』になりました。

 

実はこうやって、チーム名は何度も変わっています。同じようにユニフォームも数え切れないくらい変わってきました。しかし、唯一ずっと変わらないのが“赤色”です。グッズやアリーナも赤で統一しており、これだけはずっと受け継がれている歴史や意志のようなものを感じています。今のサンダースの“ブレイブレッド”にも、しっかり刻まれているのではないでしょうか。

未来に向かって、これからも繋げていきたい思いはありますか?

絶対的に忘れてはいけないのが、川崎という街に根付くように、意識しながら活動していくことです。『川崎ブレイブサンダース』というチーム名をファンの方も意識してくれていると思いますし、川崎に愛されるチームであってほしいと思います。そのためにも、子どものころから入れる、子どもクラブを始めたので、継続していきたいです。

サンダースファミリーへのメッセージをお願いします。

まずは応援に来てくださるみなさんに、心からありがとうと言いたいです。本当に熱心に応援してくださり、とにかくありがたいです。私からファンの方に、直接お礼を言う機会がないので、接する機会を作って、直接しっかり伝えていきたいです。 サンダースファミリーの熱気は本当にすごいです。ユニフォームを身にまとって、グッズも身につけて、そういった方がアリーナにいると、やはりチームとしての士気は高まります。歓声が上がり、アリーナが一つになる瞬間は、「ありがとう」という気持ちで一杯です。選手の皆さんも、ファンを大事にする気持ちがどんどん強くなってきているように感じています。

 

私にとっての、
川崎ブレイブサンダース

記憶に残っているできごとは数多くありますが、第33回日本リーグ(2000年1月)で優勝したときは非常に感動しました。私はチームのマネージャーとして参加し、ずっと近くで見てきたので、格別の思いだったのを今でも覚えています。(写真:第33回日本リーグ優勝の2000年の写真)

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